アウトプットの形式確認は価値のある仕事だ

上司やお客に見せる書面には、ぱっと見でわかる誤植やいびつな色使いをなくそう。

 

書類の不完全さを感じた瞬間に、内容に関わらずマイナス評価となるからだ。

しかも、そのマイナス効果は大きい。

 

「見た目じゃなく中身で見て欲しい!」

と主張しても、人間の判断基準なんて「良い感じ」か、

「なんかしっくりこない」

のだいたい2つに1つでしかない。

 

内容ではなく、まずは見た目の感覚で判断してしまうのだ。

 

「形式に囚われないように考える」のは良いことだが、それはあくまで、自分の心がまえであって、他人には強要できない。

 

信頼関係があれば、 第一印象が不要だから、崩れた形式でも実質を読んでもらえるかもしれない。

でも、報告書は普通、多数の人に説明するために作られる。誰の手に渡るかわからないものだ。だから、報告書作成の最後には、形式にこだわるんだ。

機械的な作業なので、将来的にはAIに取って代わられる仕事だろう。だからといって、現在ある仕事をやらなくていい理由にはならない。

 

形式チェックを外注できるレベルに稼げるまでは、自分でアウトプットの品質管理をするべきだ。

「これでOK」と判断するのは難しいが、少なくとも形式面は、「ぱっと見で違和感がないレベル」に仕上がっているか確認しよう。

 

あえて誤植して、読み手の気を引く戦略もあるようだが、まずはキチンと表現できることが重要だ。 

 

 

頭の良い人と自称インテリの差

頭の良い人は、現実の事象を抽象化した上で、現実を動かすための具体的な行動に落とし込み、行動する人だ。

 

一方、自称インテリは、現実の事象を抽象化して、抽象化した概念の正しさを確かめ続け、現実の問題へ落とし込むことに興味を持っていない。

「自称インテリ」とは橋下徹さんの言葉で、いつもメルマガで否定されている人種の人たち。

 

自称インテリの話は、「そういう考え方があるな」「そうかもな」という参考にはなるが、じゃあ現実にどうすればいいか、何も言えない、抽象的な話にとどまる。

 

例えば、「将来的に年金は破綻する」と言われている。

自称インテリは「なぜなら〜〜〜」と、理由を述べ、実現不可能で無責任な解決策を提示する。(年金制度の抜本的改革など。少子高齢化の現在、どうやって改革するのだろう?)

頭の良い人は「じゃあどうする?」という解決策を考えようとする。解決できない問題には手をつけない。できないことをやろうとしても無駄だから。現状から具体的なステップを踏んで、実現可能性があることにチャレンジする。

 

自称インテリは、発生原因を突き止めることを目標とする一方、頭の良い人は解決を目標として、解決に役立つ発生原因調査をする。

 

自称インテリ=現状の問題と原因報告&妄想

頭の良い人=解決可能な問題を探し、解決する

 

だから、「自称インテリ」の人は、もう一歩考えを進めなきゃいけない。

「具体的にどうするのか?」が重要だ。

 

最近は、小池百合子さんが国政政党を作って公約を掲げたが、まったく実現可能性がなさそうに見える。ベーシックインカムなど、何年かけて導入に漕ぎつけようと考えているのだろうか?

 

具体策がない方針など無意味だ。理想を語って現実から逃げているだけだ。

理想を語りたいのなら、具体策に落とし込めるものを語らないと意味がない。

理想に逃げず、現実を生きよう。

 

夢を見ることは、現実を見ることだ。

現在から一歩一歩進むことで、夢への道のりを歩める。

考えるだけじゃ、一歩も進まない。1日一歩でも、何かを進めよう。

お金の稼ぎ方

お金は人が持っているものだから、

人がお金を出すことをやらないと稼げない。

自然に良いことや、漠然と世の中のためになることをやっても、それ自体でお金は稼げない。

逆に、お金を出してくれる誰かがいれば、何をやっても稼げることになる。

お金を稼ぐには、お金を出してくれる誰かのためになることをやればいいんだ。

もちろん、法律に従いながら。

 

coincheckのリスク

金融庁が仮想通貨交換業者11社を認定した。

http://www.sankeibiz.jp/smp/macro/news/170930/mca1709300500004-s1.htm

 

この11社に、coincheckが含まれてないことに驚いた。

coincheckは、リップルコインなどかなりの仮想通貨の種類を扱っており、そこそこ利用者も多いと思われる。

にもかかわらず、今回の認定に含まれていないのはなぜか。

 

勝手な私見だが、顧客資金と会社自身の資金区分に不明瞭部分があるのではないかと推察している。

つまり、会社が顧客の資産を使い込むリスクがある、ということだ。

 

もちろん、現段階でそんな問題は発見されていないだろうが、今回の認定を受けれなかったことで、何らかの対応を迫られるような管理体制だったのだろう。

 

coincheck自身からもリリースが出ており、取り扱い通貨が多いから時間がかかっている、と主張している。

http://corporate.coincheck.com/2017/09/13/20.html

 

しかし、11社が同時に認定された状況で、本当にその理由だけ?と疑ってしまう。

 

仮想通貨業社は、ベンチャー企業にもかかわらず、金融機関としてのリスク対応を求められる。今回は、金融業の規制の厳しさに耐えられるよう、従前から統制がきちんとしていた企業が認定された、とも言えるだろう。

 

ともかく、coincheckに限らず、今回認定されていない業者を使っているなら、念のため口座変更することを推奨する。

ビットコインイーサリアムならbitflyer、ネムならzaifで良いだろう。

 

 

プレミアムフライデーじゃなく、プレミアムマンデー導入を!

プレミアムフライデーの見直しが検討されているらしい。

https://www.jiji.com/sp/article?k=2017091100900&g=eco

 

消費を喚起するために休みを増やす、というコンセプトは良いと思うのですが、なんで月末金曜日にしてしまったのだろう?

 

月に1度、政府主導で3時間程度の休みを推奨して消費を喚起する場合に、「いつ」休みにすれば良いか。

考えるべきは、企業の導入可能性と経済効果だ。導入可能性が高く、経済効果が大きい日時を考えると、月末金曜日の夕方は筋が悪い。

 

月末金曜日の午後の休みを満喫できる人は、プレミアムフライデーがなくても定時に退社できている人だ。
月末金曜日に残業してる人が、プレミアムフライデーだからといって仕事を切り上げられない。残業しているのだから。
 
なので、プレミアムフライデーの対象者はそもそも、月末金曜日に定時で帰れる人に限られているようなものだ。
で、定時であがって花金を楽しむサラリーマンが、もし午後3時に仕事を終えるとどうなるか?
感覚的でしかないが、すぐに居酒屋に行く人は50%もいない気がする。
仮に3時から飲んだら、6時に終わってしまうじゃないか。飲んだ後に家庭で何かすることなんてない。早く寝るだけだ。居酒屋以外の娯楽に行く人たちも、いつもより早く始まり、早く終わるだけに終わる人が大半じゃなかろうか。

 

まとめると、月末金曜日は、対象者が残業していない人員に限られるため企業での導入可能性が低く、経済効果も限定的である。

 

では、いつなら良いか?

僕は月曜日の朝だと考える。

 

少し違う観点だけど、いつの間にか日曜日が祝日の場合は月曜日に振り替える法令ができていた。

また、祝日がしれっと増えても、世間的に、その祝日はしっかり休みと認識されている。

会社から帰る時間は政府主導で動かしにくいが、祝日の設定で会社に行く日数は簡単に変わるのだ。

ならば、半祝日として午前休を政府主導で設定したら良いのではないか。始業時間のコントロールは簡単だし、従業員をほぼ平等に扱うことになる。

仮に急な仕事が入ったとしても、午後から対応すればいい。この点からも午前休は企業にとって導入しやすいと思われる。

 

午前休を月曜日にする理由は、経済効果である。

午前をしたところで、午前中の支出はほぼ増えないだろう。経済効果があるとしたら、前日の午後から夕方である。

次の日の午前から仕事という理由で、早めに切り上げられているイベントの延長が見込まれる。

典型的なイベントとして、飲み会と旅行があると思うが、仮に月曜日の午前が休みなら、今より少し遅く帰る計画にする人も多いのではないだろうか。

僕の経験則では、日曜日の飲み会では、明日があるから控えめに、早めに解散することが多い。また、旅行では、翌日朝に仕事なら、夕方6時ごろまでに自宅に帰っていたいと思う。

午前が休みなら、翌日の心配なく遊べるため、消費金額の増加が見込めるだろう。

特に月曜日朝が休みなら、土日をフルで使えるのだ。他の曜日なら、残業が入った時点で消費増加の効果が限定されるため、月曜はどの効果は生まれないと考えられる。

 

以上、半日休みを設定するとしたら月曜日午前である。

 

それではまた。

 

 

 

 

契約書は人間を動かすプログラムだ

スマホの購入、アプリのインストール、住宅の賃貸などなどの際に、
利用規約やら契約やら、やたらと長い文章に合意させられますよね。

どこに重要なことが書いているのか、パッとみてわかる人はほとんどいないと思いますし、
「よくわからないけれど、騙されはしないだろう」
と楽観して承諾している人が大半でしょう。僕もその一人です。

なんで契約ってわかりにくいんでしょう??

 

最近、仕事で契約書のドラフトを作る業務があり、
久しぶりに契約書を準備しました。

 

僕の勤め先では契約書のフォーマットがあるのですが、
「この仕事の場合はこの条文を入れる」などの説明はあるものの、
いまいち全体像がわからないまま作っちゃってます。

そして法務からレビューを受けて修正され、
相手先からも修正要望が入り、それらを調整したらようやく締結です。

面倒な理由の一つとして、契約書って一つの条文だけを読んでも、それだけで意味がわかるようになってないことが挙げられます。

例えば、「Aの場合はBとする」と書かれた条文があるかと思えば、別の条文で、
「第⚪︎条(さっきの条文)に関わらず、Cの場合は、Aの場合であってもDとする。」
といった例外条件があったり、
他の場所で定義された言葉がそのまま使われていたり、
一つの条文で言っていることが全てじゃないのがやっかいです。

また、第二の理由として、「もし取引先が破綻したら、、、」などの、
万が一の場合に備えた条項をどこまで必要なのか、という問題があります。
「相手が破綻した場合」などを書いて、相手の心証が悪くなることもあるでしょうし、
かといって、何も書かないのもリスクになるので、判断が難しいです。

 

面倒なことには変わりないのですが、
「契約書は人間を動かすプログラム」だと気付いて、
プログラミングは面倒だもんなぁ、と納得しました。

コンピュータを動かすためのソースコードが書かれるように、
人間を動かすためのソースコードとして、契約書が書かれているイメージです。

 

契約書がコンピュータ言語に似ている点は大きく3つです。 

①言葉(変数)を一度定義して、その言葉を使うことで、言葉の定義変更に柔軟に対応できる点
よく第2条あたりで、言葉の定義欄があって、その言葉で条文が書かれていきますよね。また、条文内で言葉を定義して、別の条文で、定義した条文番号を示して引用する形式もたまに見ます。

プログラミングで、"var i as integer; i = 10" なんて定義してから使うのと同じだなと思います。

 

②通常運用時だけでなく、エラーが起きた場合のことを多く記載する点

プログラミングでは、通常想定されている動作からハズレた場合にエラーを出すため、
ある程度エラーが起きそうな場面を想定して、「その場合にはこうする」
といったプログラムを書きます。

契約書でも同じように、異常な事態が生じた場合の対応が一定程度書かれています。
リスクが高い状態が想定されるなら、その場合の対応を記載するのは当然でしょう。 

書いていないと、万が一その状態となった際に、被害が広がる一方になります。

 

③具体的に、いつ誰が何をどのようにやるか、指示が明確な点

契約書には、甲乙の主語が最初に定義されて、
「甲が●●した場合、乙はxxをする。」
など、主語と動詞が明確に対応している文章が多いです。

また、お金のやりとりが発生する場合には、振込先、振込期日、金額の決め方など、
契約上細かく定義されているのが通常です。

契約に書かれた指示に従って、将来人間が動くことになります。

 

プログラムによってコンピュータを動かすように、
契約書によって、特定の人間を動かすことで、仕事が回るのです。

契約書を締結しなきゃ、例えばある仕事をしたとしても、
その仕事に対する料金が振り込まれなかったりすることがありえます。
口約束も契約ですが、言った言わないの証明が困難ですし、
現代では「契約書」による取引が一般化しています。

音声保存での契約でも良いんじゃないか?とも思うのですが、
やはり、紙の文章のほうが、網羅的に、異常事態が生じた場合の定義ができますし、
口約束は言い間違いも生じやすいので、紙の契約が勝るのでしょう。

特にB2Bの仕事の場合ですが、契約書は契約相手を動かすためのプログラムなので、
面倒臭がらずにちゃんと作りましょう。
というお話でした。

それではまた。

 

 

読書感想:生涯投資家

僕の村上ファンドのイメージは、
・とにかく役員に敵対的なうるさい株主
・目先の株価しか考えない会社の敵
・配当や自己株買いをむやみに要求するハゲタカ・ファンド
といったものでした。

でも、この本を読み進めると「会社は誰のものか」という問いが芽生え、
最終的に「株主のものである」という結論に至りました。

生涯投資家

生涯投資家

 

僕は、会社は社長を中心とした経営者の指示のもと、
従業員が中心となって運営されるものと思っています。
だから、「株主のための経営」という言葉に強い違和感を持っていました。

僕が接してる相手はたいてい従業員だからそう思うのかもしれませんが、
会社としては1円も儲からない株主への説明資料を作るために、
何人もが工数を割かれています。
それでいて、会社に対して利益の向上を求める株主ってなんなんだろう?
多数の株主がいるからこそコストがかかっているのに、コストカットを要求するなんて、どの口が言うんだろう?

そう思っていました。

 

でも、それは上場企業だからこそのコストであって、
非上場で経営者が過半数の株式を保有している場合には関係ないんですね。

 

村上さんの主張は、上場している会社の株式は誰でも買えるのだから、
会社は社会の公器として、株主の利益向上を目指すべきとのことです。
上場しているにもかかわらず、経営者が会社を食いつぶしている会社は是正しなければならない、という理念です。

 

だから、村上さんの投資先は、経営者が会社の利益を考えず、会社を私物化している先とのことです。
合理的な理由なく、簿価に比べて高い時価となっている不動産を持っていたり、
事業に関連しない債券投資をしたりしている会社には容赦なく、株主としての権利を主張してます。
事業会社が余ったお金を関係ない先に投資するくらいなら、
配当や自己株買いで株主に還元するべきということです。

確かに、株主は投資家が本業なのですから、
企業が事業のついでに、余り金を投資するような状況よりも、
投資家に還元したほうが良いように思えます。

 

企業は経営者と従業員によって運営されてますが、権力は経営者が持っています。

だから、経営者の監督者がいなければ、経営者が会社のお金も従業員の給料も好きなように決定できます。

そこで、経営者を監督する役割を持つのが株主です。

例えば、東芝東芝メモリの株式を100%持っているから、東芝メモリの経営に口出しできます。また、ウェスティングハウスの株式も過半数持っているから、東芝ウェスティングハウスを所有していることになります。

株主が1人とか少数なら、「株主が会社を所有している」と言われて、しっくりきます。

 

でも、上場企業では、不特定多数の株主が経営者の上にいます。しかも、お金を出せば誰でも株を買えます。

誰でも買えるように売り出されているのが、上場会社なんですね。

直感的には、不特定多数の株主が会社を持っている状態がイメージしにくいから、会社は実際に運営している経営者と従業員のもの、と言いたくなります。

でも、特定でも不特定でも、株主は株主なので、上場会社の株主も理論上会社の所有者です。

 

上場会社は、誰でも所有者になっていいよ、と株主が売り出した会社なんですね。

でも、一人一人の株主の権力(=議決権)が小さくなるから、権力のバランスが経営者に傾くんです。

それでも、経営者が企業価値を高めるために活動していたら問題ないです。

でも、株価が、企業の持ってる現金や不動産の価値よりも低い状態、すなわち、企業価値が今持っている資産(借入を返済したベース)よりも小さく評価されている場合は、経営者が企業価値をマイナスにしているということです。

 

上場会社がその状況なら、本来の企業価値まで株価を回復させるよう要求する株主が出てきてもおかしくないです。

子会社なら親会社から収益を上げるよう言われるように、上場会社は株主から株価を上げるよう言われるわけですから。

 

株価の決定要因が業績と財産だけでないのが肝のところです。

業績と財産だけで評価した株価から、著しく高い株もあれば、低い株もあります。たいていの企業の株価は、将来の期待値を込みで、業績と財産以上の株価がついています。、

にもかかわらず、業績と財産で評価した株価より低い株は取引所から忘れられているのでしょうか?

「4699 ウチダエスコ」に僕は注目していますが、現金残高と株価がほぼイコールなんです。利益は継続して出していて、借入はほぼありません。こういう株が、四季報を見てるとたまーにあるんですよ。何なんだこの株は?真っ当に評価されたらすごいんじゃないか?と思うわけです。

そういった株が注目されて、本来の価値で取引されるよう、議決権を使う株主がいるほうが、株式市場として健全じゃないですか?

企業価値が低く評価されたまま影の優良企業と言われるのではなく、上場しているのなら、表の優良企業であってしかるべきなんじゃないですか?

 

村上さんの本を読んで、上場企業としてのあり方を考えると同時に、上場の意義にも考えがおよびました。

 

上場企業とは、表の会社です。株式は誰もが買えて、そのぶん不正や不祥事が少なくなるよう、取引所に監督されています。

本来なら株主がする監督業務を、株式を一般に売り出す責任として、取引所が代行しているのです。

 

株式を売りに出している(=上場している)からには、期待を込めて、株価を長期的に上げていくよう、企業価値を高めてください。とお願いする権利は、株主にあります。

実際の行動は経営者に委ねられますが、株主は経営者の人事権を持ってます。

人事権を持っているのは、人類最高の権力を持っているに等しいので、たとえ行使しなくても、経営者のストッパーとして期待できます。

経営者、株主、従業員、それぞれの権力のバランス関係で、上場企業なのに株主の権力が小さく、経営者に私物化される企業は淘汰されていくべきでしょう。

権力は偏らず、バランス良く牽制し合う状態でこそ、暴走せず公正さを保てると思います。

 

以上、村上さんの生涯投資家を読んだ感想です。

 

それではまた。