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ウチダエスコ ストップ高?!

あまり買った株式を見てなかったのだけれど、
この間言及したウチダエスコ、ストップ高になった後に、
ちょっと株価を下げたけど維持してるみたい!

 

iwaty.hatenablog.com

 

ウチダエスコ(株)【4699】:株式/株価 - Yahoo!ファイナンス

それでもまだ、
時価総額はまだ36億円で、現金預金40億円と有利子負債が2億で、差額38億円、
実質現預金を超えない時価かー

ようやく注目されて価値が認められるのかとも思ったのに。
残念。
今の株数と業績なら、2,500円程度になったら売りたいなぁ。

 

とりあえず、長期保有でいこう。
せっかくのNISA枠だし。

あと2万円、どこの株を買おう・・・

 

そんな楽しみは後にとっておいて、
今日もようやく仕事が終わって自分の時間を持てる。

思考の整理の意味も含めて日記を書くことにしたけれど、
1日のうちに考えることって多くて、
なかなか書ききれないものだなぁ。という気がしている。

日記だと、自分向けだから遠慮はないし、
考えた意思を書き記せるのがいい。

自分の意見に対して反証する自分はいるけれど、
それでも、さらに反証を重ねるか、それは感情の問題化を整理しようとする自分がいて、
客観性はないけれど、自分の中でゆるぎない信念に替わる部分はあると思う。

それでも、明日には自分の考えが変わっているかもしれないけれど、
少なくとも、今の自分にとっては、感情として、感覚としてかつ、
論理的に展開できる主張を持てることが、自信につながってる。

 

答えは一つじゃないのだから、
感情に基づいた論理で否定されても、別の感情からの論理で、
自分の考え自体は保有できる。

 

例えば、死刑に賛成か反対か、という議論があるけれど、
なぜ議論になるかと言えば、論理的に導き出せる絶対解がなくて、
感情論を基にした、論理チックな論法しかないからだ。

論理は数学的に、絶対的なものだけれど、
論理的、とは、多数の人が納得する事象の流れ、というだけであって、
別に証明されきっている事象じゃない。

論理的とは、確率が高い事象、ともいえるだけで、絶対解でないんだ。

 

1+1は、ペアノの公理で2になると、公理によって定められているけれど、
朝8時に起きてから飲食なくぶっ続けで仕事している人間が、
夜18時にはおなかが空いているかどうか、という問いには、
おそらく、通常の人間ならば空いているだろう、としか言えない。

 

数学的に反証の余地なく証明することはできないけれど、
論理的に、8時に起きた人が飲まず食わずだと、18時にはおなかが空いているだろう、
とはいえると思う。

それは、「論理的」とは、「感情が納得する物語」なだけだから。

 

感情は人それぞれと言うけれど、人類も動物なことには変わりがないのだから、
本能的に拒否することもあれば、逆に信じてしまうこともある。

物語が大好きな人類だから、納得できる物語には、筋が通っているという評価をくだす。

つまり、「論理的」とは、単に大多数が納得できる物語、であって、
絶対的な解を示すものじゃない、ということ。

 

たぶん、そこらへんの議論は弁護士のほうが得意なんだろうけれど、
事実と認定されることと、そこから推定されることには、
信ぴょう性に大きな隔たりがあるということ。

だからこそ、確固たる証拠はないけれど、
状況証拠からの推察、というものが成立し得る。

だから、事実をしっかりと見なきゃいけないんだ。

事実からの、「論理的」な意見には、その主張をした人の感情が混じっているから。

 

事実に感情を交えられた主張を、事実と勘違いせずに、
ちゃんと自分の感情に沿った意見を持てるように、
考えを整理していこう。

 

それでは、おやすみなさい。