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指輪作りと、価値の定義

今日は結婚指輪を彼女と作りに行った。

既製品よりも、手作りのほうが想いが乗っかっているように感じていいと思って。

ダンアリエリーさんに言わせれば、「イケア効果」らしい。
人間が手を加えたものに対して愛着が湧く効果。

不合理だからうまくいく: 行動経済学で「人を動かす」 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

確かに、指輪を作るときは相手のことを考えながら、
良いものを作りたいと願ったから、感情が付加されていると感じられる。
神経を使って、より精度の高いものを作るよう、頑張った。

客観的に見れば、どの指輪も「ただの無機物」だけれど、
自分で意味を付ければ、価値になるな、と実感した。

 

 

自分の手を加えないものに対しても、意味を付ければ価値がつくことに気が付いた。

例えばダイヤモンド。

ただの炭素と言えばそれまでだけれど、
炭素の中でも良い原石があり、
その原石を良い感じに削ったものでしかない。

それでも、他の鉱石とは比べ物にならないほどに高価なものになる。

絵もそうだけれど、人間は鑑賞して楽しめるものに対して、
価値を感じるんだろうな。

 

ただ、手を加えたものに対する価値は、自分や近親者に対してだけれど、
ダイヤモンドは、誰にとってでも価値になりえる。

 

「価値」とはなんぞや?という問いには、
僕は「人を物理的または精神的に動かすこと」と答える。

人を物理的にも精神的にも動かさないものには、価値がない、とも言い換えられる。

例えば、先ほどの指輪には、僕にとっての精神的価値があるけれど、
それは僕が指輪を認識することで、相手への想いを想起できるからであって、
仮に、誰かがテキトーに作ったもので何も想い起さない場合には、価値はない。

ダイヤモンドの価値も似たように、見た人がきれいだと思って、
欲しい、身に着けたい、と願って、実際にそう行動するからこそ、価値がある。

そのへんのただの石ころでは、人は物理的にも精神的にも動かない。

 

 

 

話を展開して、例えば会社の会議の結果として、
誰かが動くことになれば、その会議は意味があると言える。

特に、会社の業績を動かす行動のほうが望ましい。

でも、うだうだ話すだけで、人を動かすことのない会議は、意味がない。

似たようなことが、メールの価値についても言える。

仕事のメールには価値がないと思われがちな気がするけれど、
メールの情報によっては、人を動かす価値がある。

レポートにしないまでも、相手に伝えるコミュニケーション手段として、
メールは非常に優秀なツールだと思う。
むしろ、メールで人を動かせるなら、メールが仕事と言っていい。

メルマガはその典型だろう。

物や情報を作るだけが仕事じゃない。

情報を伝える仕事こそ、現代では重要になっている。

だから、みんな情報を欲しがって、一般的に情報にお金を払うようになったんだろう。
現代は、というよりは、新聞が始まった時代から?かもしれないが。

 

なんとなく、今日は価値について考えを巡らせる日だった。

では、おやすみなさい。