英語は日本語より伝える音が多いから聞こえない

最近英語の勉強をしているのだけれど、
ニュースはある程度聞けても、ほんと映画の音声が聞けない。。

で、英語字幕もほんとにこんなスピードで読んでるのか?!
と思うスピードで流れていく。

仕事で文章を和訳とか英訳をすると、英語は長く、和訳は短くなる。

やっぱり、漢字を使える日本語のほうが、
文字数は少なく意味を伝えられる言語なんだろうな。

英語は26文字を高速で唱えている感じ。

目標は、英語で仕事ができるまで。

現状は、TOEIC730点レベルで、聞けない話せないレベル。
TOEIC900点を取れるまでは、TOEICを受け続けつつ、
話したり書いたりも、今後検討していかなきゃな。

とりあえず、今日は考える前に聞いて話す練習をしよう。

それでは、おやすみなさい。

 

効率性の観点から仕事を見直したら無駄だらけな件

1週間ほど仕事で深夜帰りが続いてます。

データやヒアリングの内容をまとめた報告書を書く仕事で、性質上、客観的な「完成」がありません。

 

だから、上司が完成と判断したら、報告書関連の仕事は終わりで、あとはクライアントに説明する流れです。

 

この、「上司が完成と判断したら、」がほんとにクセもので、上司の気分によるところが大きいです。

 

で、上司は何を見て判断するかというと、作成者の疲労度を見て限界まで改善させているように見えます。

 

8割程度作成した1回上司に確認するのですが、そのときは通った表現が最終チェックでNGになるなんて、ザラにあります。

前に見たのに、とは思いますが、真剣に見てないんでしょう。

 

で、最終的に上司が何を軸に完成としているのかと言えば、結局は時間な気がします。

 

報告書が完成したから早くあがろう!とかそういう気概はなくて、

深夜帰りが続いてます、というアリバイ作りをして、クライアントに持っていく感じ。

 

ゴールが時間だから、タイムアップまで瑣末な指摘や、念のための追加情報などの作成を続けることになります。

 

で、ほんとはどこまで必要なの?というと、

そんなのはクライアントすらわかっていなくて、なんかいい感じにいろんな人に納得してもらえるレポート、

というふわっとした言葉でしか定義できていません。

 

だから、完成のための深夜残業は良いものとされています。

 

タイムアップまでにどこまで走れるか、持久走をしているイメージですかね。

走った距離は誰も測定できませんが、タイムアップまで走ったことだけはわかります。

 

なら、ゆっくり歩いてタイムアップまでいても、ダッシュしていても、変わらないんですよね。

 

そこは信頼関係で全速力で走ってよ、というのが会社の主張なんでしょうが、

ゴールはなくて、ただタイムアップまで走る必要がある、という状況なら、どうなるのかわかりますよね。

 

ゴールの擦り合わせがうまくいってなくて、無駄な時間を過ごす、典型的な事例にいるのだとわかりました。

 

なんとかしたいものです。

思考錯誤

ちきりんさんの本を読んで、

自分の目標や将来像を設定しないと、非効率的で無駄な成長をしてしまう危機感を覚えました。

自分のアタマで考えよう

自分のアタマで考えよう

 

ざっくり本の内容をまとめると、

・考えるとは、結論を出すこと。

・わからないならわからないという結論を出し、
 次の課題へ進むこと。

・答えが無いことには、自分なりの判断基準を設けて選ぶしかない。
 判断基準の優先順位をつけよう。

といったものです。

 

僕は最近英語を勉強していますが、英語を使って何をしたいのか?と考えた際に、
僕は、海外展開している企業の経理担当になるため、という解を考えました。

でも、そもそも経理をやりたいのか?と聞かれれば、微妙な気がします。

目標が曖昧なままの、非生産的行動になる可能性も否めません。

結論を出すのが思考ならば、
自分の将来像を想定して、その将来像に近づくように、行動することになります。

僕は海外に住むつもりはないですが、
将来的に英語を使用する仕事はこなしたいので、
英語の勉強は続けます。

成果の測定は、とりあえずTOEICにしようかなと思います。
まだ700点ちょっとですしね。
リーディングが課題です。

 

とりあえず、英語はやる、という結論を出したので、今から勉強します。

それではまた。

ダブルベッドの選び方

引っ越しに備えて、ダブル・ベッドを探してきました。

ニトリIKEA、大塚家具と、実際の店舗を見て回ったはいいものの、
ピンとくるものはなく、結局ネット通販で買うことに・・・

 

ネットで探しだしたら、実店舗で見たものの何十倍も種類があって、
正直、選択肢の数は比べ物になりませんでした。

やっぱり、実店舗で見てから買いたい!という思いはあったものの、
それは、「実物を見るため」という価値であって、
その中から選びたいかというと、そうじゃなかったんですね。

ぶっちゃけ、実店舗は値段の相場と商品の質のイメージをつかむため、
だけのために行ったことになります。

 

もちろんピンキリではありますが、ダブルベッドについて言えば、
チープさ(すぐハゲる、壊れるなど)を超えるランクとしては、
フレームでだいたい5万円以上、マットレスは5~10万程度、
という感覚になりました。

合計10~15万円程度かなー、と思っています。

 

と思ったのですが、
みなさん、家具とか服とか買うときの予算って、どうしてるんでしょう?

僕は、相場観が無い中で予算なんて組み立てられないから、
とりあえず行ってみて見てみるのですが、
定員さんにはよく、予算の金額を聞かれます。

もちろん、マックスの金額は頭にはあるのかもしれないですが、
そうじゃなくて、他のものとのバランスが合ったものが欲しいんですよね。

偏差値で言うと、自分の中のランク付けで、
偏差値40、50、60があり、他のものが例えば偏差値50レベルだったら、
偏差値50レベルものか、55レベルが欲しいんですよ。

60はたとえ予算内だったとしても、主観値が高いんですよ。

もちろん、割安なら購入するのでしょうが、
主観的な偏差値には料金も考慮されるので、
割安商品はそのぶん主観的偏差値が下がります。

統計学的には主観的偏差値なんてないのですが、
100点満点の点数よりはイメージがつかみやすいと思って使ってます)

予算に収まるものが欲しいのではなくて、
自分が思う平均のちょっと上程度が、欲しいんですよ。
それか、最高峰(と自分で感じられる)のものですね。

それ以外の中途半端なものは買えません。

だから、「自分のなか」で平均より少し上のランクのものを、
掘り出し物として買うんでしょうね。

 

予算よりも、自分が欲しいもののランクを伝えられたほうが、
定員さんも良いアドバイスができるなじゃないかなー
それもなかなか難しいんだけど、素直に予算を言うよりはいいでしょ。

 

今日探してて思ったことでした。
それではまた。

結物語 感想

西尾維新さんの本の中で、一番好きな物語シリーズの最新刊を読みました。

結物語 (講談社BOX)

結物語 (講談社BOX)

 

本編の主人子の阿良々木暦が、23歳になって、警部補として働き出した話でした。

そもそも誰が主人公の物語なのか、というほど、
物語シリーズは様々な視点から書かれているのですが。

考え方のバランスが、程よく理想論、といいますか、登場人物ごとの考えの振れ幅が面白いです。

登場人物の中には極端な考え方もキャラも出てくるんですけれど、
ちゃんとバランスをとって、妥当な結論を示されているというか、

多様な考え方を受け止めたうえで、それぞれの生き方を尊重する感覚ですね。

 

今回考えたのは、過去との決別の仕方、でした。

例えば、かつては仲の良かった同級生との関係、
何かと仲たがいはしたけれど、関係が生じてしまう関係、
別れては。離れたくないとまた付き合う関係、

いろいろな人間関係がありますが、
普段接する以外の関係は、自分が構築した特別な関係なんだな、
と思いました。

学校や職場があり、
定期的に集まることが確約されているからこそ、
「普通の」「通常の」「平時の」人間関係があるのであって、

それ以外の人と会ってコミュニケーションを取ろうとしたら、
「偶然」か「意図的」しかありえないのだと。

では、大人になってから、「意図的に」誰かと会おうとしていたかな、
というと、そうではなくて、きっかけを常に「求めている」立場にいました。

物語では偶然出会えるのですが、現実は「必然」でしか出会いは生まれません。

出会ったうえの話は、昔話に花を咲かせるのもいいですが、
将来の構想を話しているのが、郷愁を感じつつも、
将来を生きる上で役立つ会話になるのだなぁ、と感じました。

オフシーズンの最後、きれいに収まりすぎて感涙でした。

 

2017年の目標 = すぐやる

新年あけましておめでとうございます。

もう1月10日ですが、今年の目標を作ったので、実践していきたいと思います。

目標は「すぐやる」ことです。

誘惑や惰性に負けず、Todoをすぐにやって終わらせて、
日々の生産性を上げて、本当の休みを増やしていきたいと思います。

考えてやらないよりも、失敗してもいいからやってみよう、の精神で。

 

日々考えたことを、文字にする作業も増やそうかと思います。

日記もそうだけれど、考えたことの記録をしておくことで、
見直した際に自分をよりよく知ったと感じれますし。

とにかく、すぐやり、いろんなテーマの文章を書くこと、
これを2017年の目標にして、1日1日生きていきます。

本年もよろしくお願いします。

新人教育には、主体性の教育が必要性

日本の受け身教育で育った新卒社員なんて、
たいていは自主性がなくて、
ビジネスの常識すらない。

自分が新卒だった頃を思えば当然のような事実。

それなのに、自分が若く幼稚で常識知らずだった頃を忘れて、
若者に対して接する中年以降が、いつの世にもいる。

教えられれば成長する、
社会では当たり前のことすら、
学校生活では不完全な状態だ。

教えられたことができたら優等生、
それが、学生生活だった。

大学院レベルなら、自分で課題探しをしなきゃいけないのだろうけれど、
そこで鍛えられるかどうかで、社会で働ける度合いはほんとに変わる。

何が言いたいかというと、
主体性の教育が必要ということだ。

主体性とは何かと言ったときに、
よく間違えるのが、
「自分で考えろ」ということ。

情報がない状態で、自分で考えて何かができるのなら、
その人は起業して組織に属さないような、主体的な人材だ。

なのに、中年は教育だと勘違いをして、
「自由にやってみろ」、「好きにやってみなさい」、「答えは一つじゃない」
などと言って、意味のない無茶ぶりを若手にさせる。

ゴミくずとしか言いようのない教育だ。

 

組織に属しているのなら、
最低限クリアするべき基準、
そこから伸びてほしいと考える方向性、
程度は示さなければ、本当に自由な思考しかできない。
現実に縛られない自由な思考ほど、意味のない考えはない。

 

思考を現実化して、行動に起こしてこそ、意味がある。
哲学でさえも同じで、哲学をして定めた自分の生き方を全うすることこそに意味があり、
過去の哲学者がこう言っていったらしい、などという「知識」そのものに価値はない。

知識を得て、実践し、他者にまで影響を及ぼすようになれれば、
それは大した行動力だと思う。

 

うつ病とか、考えすぎの病というものも、人間には存在する。
そんな人たちのことを僕は、考えなしに生きるより、生きているように思う。

自分の人生を生きようと頑張ろうとしているけれど、
空回りしてるから、思考がぐるぐる循環して、
「今」に集中できなくなる。

そんなイメージだ。

 

話を戻して、そう、新人教育だ。
新人教育に大切なのは、ルールの範囲を教えることだ。

やってはいけない最低ラインの行動が、組織ごとにあるはずだ。
常識にとらわれているのではなくて、ただ単純に、誰も得をしないような行動がある。

例えば、挨拶をしないことなんて、その典型だ。
挨拶しようよ、円滑な人間関係のために。

挨拶の無視なんて最悪だから。

そういう、対外的コミュニケーションの術では、
「予想外」や、「新しい発想」なんてものは必要ないんだよ。
受け取る「相手」が基準だから。

自然現象と戦ってる物理化学や、万人受けするためのデザインなんかじゃなく、
ただの身近な人とのコミュニケーション。

それくらいは、日本の学校を卒業したての新卒社員には教えてあげなきゃ。

教える時間がないのなら、新卒を雇うのは間違ってるってことだ。
新卒を雇って育てて使えるようにしなければ、
日本の大学卒なんて、ほんと使えない(自戒を込めて)んだから。

新卒でビジネスをわかってるのは、ほんの一握りだけ。

その人材を見抜いて、そんな人材のみを採用したい、
というのが理想だけれど、現実はそんなに簡単じゃない。

現実的プランが大事、ということを、僕は学生時代にわかっていなかったけれど、
今なら言える。

勉強は高い目標を掲げれば環境が整いやすいけれど、
商売は、高い目標だけじゃ、道筋は見えない。

道筋を具体的に考えて、行動できてこそ、価値が生まれるんだ。

 

具体的にどのように行動して、誰がどういった役割を持つか、
考えたとき、
あれ?こんなものか??

と思うだろう。

なぜなら、具体的な「行動」は、なんとなくできそうなことばかりだからだ。
頑張る気があればできるけれど、頑張らなければできない領域が、
個人ごとにある。

そこで、頑張らければできないラインを超える、ということを続ければ、
いつのまにか、他人にはまねできないことになっている。

そういうもんだろう。

中年者は、新人を試すんじゃなくて、
新人を導くよう、自分のふるまいを検討しなければいけないんだよ。

自由と責任はセットだとか、
組織内でわけのわからん理論を振りかざす先輩になっちゃだめだ。

「責任はとるから、このルール内でいろいろやってみろ。確認はする」
と言うのが、本来の先輩であり、上司だろう。

それではまた。